規模と形状
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 04:52 UTC 版)
卑弥呼は径百余歩の墓に葬られたとする。一歩の単位については、周代では約1.35メートル、秦・漢代では約1.38メートル、魏代では約1.44メートルと言われ(長里)、墓の径は約144メートルとなる。一方倭人伝の旅程記事などから倭韓地方では長里とは別の単位(短里)を使用していると考えられ、短里説の支持者は一歩を0.3メートル、墓の径は30メートル前後とする。尚、短里説「周髀算経・一寸千里法の一里(=約77m)」の支持者の中には、一歩については、「周尺」を基準とした尺貫法の一歩(約1.2m)を採用している者もいる(かつて、帯方郡のあった朝鮮では、周の伝統が受け継がれていたと考える)。 「径」という表現から一応円墳とされるが、弥生時代の築造から楕円墳や方墳である可能性もある。なお、卑弥呼がヤマト王権の女王であるとする近畿説によって、前方後円墳をその冢と見る説もあるが、「径」の表記から異論が多い。 「大作冢」は大きな冢ではなく多数の冢の意味であり、「徑百余歩 徇葬者奴婢百余人」は径百余歩の範囲に殉葬者や奴婢が百余人、つまり卑弥呼の死によって多くの殉葬者が出て径百余歩の範囲に百人分ぐらいの冢が作られたと読み、「卑弥呼以死 大作冢 徑百余歩 徇葬者奴婢百余人」の記述は卑弥呼の墳墓に付いての記述ではなく卑弥呼の死によって引き起こされた事の記述であるとの意見もある。
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