西遊釈厄伝?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:55 UTC 版)
現存する西遊記各刊本の巻頭には、すべて「混沌未分天地乱」という句で始まり「須看西遊釈厄伝(すべからく西遊釈厄伝を見るべし)」の句で終わる詩が掲げられており、『西遊釈厄伝』なる書があったことが推測される(釈迦牟尼の略として「西遊釈尼伝」が正しいとする説もある)。『西遊釈厄伝』は書籍そのものは現存していないが、世徳堂本より後の楊致和本や朱鼎臣本が部分的に世徳堂本以外の版を参照して作られた形跡があること、および上述の通り世徳堂本の前に小説としての構造が確立された本が少なくとも1種類あったことは推測されることから、この最初の小説版西遊記が『西遊釈厄伝』であった可能性がある。 太田辰夫によれば、この書は世徳堂本の内容に、三蔵の出生物語「江流和尚」が加わったものと推測される。ただし字句はなお民間文学としての素朴さ・稚拙さを失っていなかったらしい。構成はまだ回ごとに分かれておらず、標題がつけられた短い話(則と呼ばれる)が、ならんでいるだけの分則本であったらしく、この段階ではまだ章回小説となっていない。朱鼎臣本と世徳堂本の分量比較から類推して、全250則を超える大作だったと思われる。ただし、あくまで存在が想定される書であって、現物は発見されておらず、本当に存在したかどうかは分からない。太田は『西遊釈厄伝』から世徳堂本に至るまでの間に、さらに魯王府本という江流和尚説話(後述)を削除したバージョンの存在を想定している。
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