西洋との接触
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 18:54 UTC 版)
16世紀、ポルトガル船が日本に来航し、40年代に鉄砲・キリスト教が伝来する。その後も南蛮人の手によりアリストテレス流の自然学やプトレマイオス流の医術が伝わる。アルメイダは豊後に病院を作り、医療活動を行った。『二儀略説』小林謙貞、『乾坤弁説』クリストヴァン・フェレイラなどの天文書が書かれる。ウィリアム・アダムスが造船航海術を伝え、池田好運が『元和航海書』を書く。 算術書では『割算書』毛利重能、『諸勘分物』百川治兵衛、1627年の『塵劫記』吉田光由には継子立、ねずみ算などの記述がある。やがて巻末に遺題がつくようになり、解いた人が新たな問題を加える遺題継承により内容は深化した。ほかに『竪亥録』今村知商、『発微算法』関孝和などがある。 暦・天文では、渋川春海が貞享暦をつくり『天文瓊統』を書く。本草学では、中国の『本草綱目』、『三才図会』をうけて、『多識編』林羅山、『大和本草』貝原益軒、『和漢三才図会』寺島良安、『新校正本草綱目』稲生若水などがまとめられた。また『農業全書』宮崎安貞など多くの農書が書かれ、18世紀の100年間に耕地はほぼ二倍になった。
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