いけだ‐こううん〔‐カウウン〕【池田好運】
池田好運(いけだこううん ?-?)
池田好運は元和2(1616)年、当時長崎に居住していたポルトガル人マノエル・ゴンザロ(Manuel Gonzalo)に暦学や航法を学ぶとともに、彼とともにルソン(現フィリピン)に渡航した。池田は、その航海中にゴンザロから航海術の実地教育を受け、帰国後に「元和航海書」を著した。
著書「元和航海書」(元和4年1618)は、アストロラーベ(円環上に刻まれた目盛りによって、天体2星間の角距離や高度を測定する機器。主に天球上の星座配置を知る天体観測器として普及し、航海中の時刻や位置測定に使用される)、象限儀(円周の4分の1の目盛り盤を主とする天体観測器。天体や目標物の高度測定に使用される)といった機器にいついて紹介するとともに、緯度測定や水深測定法、磁石を使った航海術などについて触れた日本初の西洋流航海術書である。
池田好運
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 05:30 UTC 版)
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時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 与右衛門 |
池田 好運(いけだ こううん、生没年不詳[1])は、江戸時代前期の航海家。長崎の人。
経歴
出自は肥後の守護菊池氏を自称。元和2年(1616年)ポルトガル人マノエル・ゴンサロから航海術を学び、ルソンへの航海に従事したという。元和4年(1618年)日本最古の西洋式航海術書「元和航海書」を上梓した。同書には天文・気象・航路・観測具・心得などを記述し、科学的な誤解もあるが、当時の科学では未解明だった高度な天文学の疑問に対する思考などが行われている。寛永13年(1636年)長崎港沖に沈没していたポルトガル船からカラクリを用いて銀600貫ほどを引き揚げたという記録がある。
脚注
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 84頁。
参考文献
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