池田奉秀とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 池田奉秀の意味・解説 

池田奉秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/01 06:03 UTC 版)

池田奉秀
生誕 1942年3月18日
満洲国
死没 (2016-08-24) 2016年8月24日(74歳没)
国籍 日本
職業 武道家空手
肩書き 日本空手道常心門少林流・初代宗家
子供 亜衣
テンプレートを表示

池田 奉秀(いけだ ほうしゅう、1942年3月18日 - 2016年8月24日[1])は、日本武道家。日本空手道常心門少林流・初代宗家。

来歴

1942年、3月18日満洲国生まれ。引揚げ後、鹿児島県で育つ。鹿児島経済大学(鹿児島国際大学)で空手部へ所属し、少林寺流空手道錬心舘の初代宗家 保勇に師事した。

1962年、第8回全国空手道選手権大会(旧・全空連主催)中量級準優勝。同年、第1回鹿児島県空手道選手権大会総合優勝。

1963年、第2回鹿児島県空手道選手権大会優勝。

1965年12月、錬心舘、保勇師範に随行し、当時は「竹のカーテン」といわれ、日本との国交がなかった中華人民共和国(「日中国交正常化」は1972年)の中国武術界から招聘を受けて中国を訪問。約40日間にわたり広州、長沙、北京、西安、延安、杭州、上海において日本空手道を公開するとともに中国武術界の最高峰、王子平をはじめ全国武術総会副主席の張文広との会見など中国武術各派と交流した。[2]

1966年、常心池田道場を開設。

1968年、真・行・草の理念に基づく常心門空手道(少林流)を創始し、団体名を「古流現代日本空手道常心門」と称した。

1969年、常心門古武道研究会を創設。それ以降、国内及び世界各国で常心門の普及に努めた。

1971年、女子武道協会を興す。

1977年、武道出版研究所を設立。

1988年、国際常心門少林流空手道連盟を設立。

2007年、東京九段会館大ホールにて、国際沖縄剛柔流空手道連盟 主席師範 東恩納盛男、國際松濤館空手道連盟 館長 金澤弘和と共に流派・団体を越え空手道を極めるために集まった三人の武人による合同解説演武会『空手武道ライブ』を開催。

2012年、娘の亜衣に二代目総師範を襲名させた。

2016年、8月24日永眠。74歳没[3]

著書

  • 『古流現代空手道集義第一巻』日本空手道常心門出版局、1975年7月。 
  • 『古流現代空手道集義第二巻』武道出版研究所、1978年10月。 
  • 『常心門の修法 -修法の基本から正伝七型まで-』日本空手道常心門連盟、1999年。
  • 『空手の答―日本空手道常心門』BABジャパン、2000年3月。ISBN 978-4-894-22380-6 
  • 『常心門の傳法』常心門空手道本院、2009年。
  • 『常心是非常―空手を愛した深遠なるアウトローが語る』壮神社、2016年6月。 ISBN 978-4-865-30012-3 

脚注

  1. ^ 【訃報】常心門少林流空手道 池田奉秀宗家 御逝去”. 武道・武術の総合情報サイト WEB秘伝 (2016年10月5日). 2025年6月17日閲覧。
  2. ^ 『古流現代空手道集義(第二巻)』(昭和53年10月25日発行 池田奉秀・著 武道出版研究所)「中国武術見聞の記」140-145頁
  3. ^ WEB秘伝訃報】常心門少林流空手道 池田奉秀宗家御逝去

関連項目

先代
(この項目の人物が初代)
日本空手道常心門少林流
宗家
池田奉秀
次代
池田亜衣



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  池田奉秀のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「池田奉秀」の関連用語

池田奉秀のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



池田奉秀のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの池田奉秀 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS