西武園競輪問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 18:16 UTC 版)
所沢市の西武園競輪場では、埼玉県・所沢市・川越市・秩父市・行田市の主催で年間12回のレースを開催していた。公営ギャンブル業界はバブル崩壊後の不況の影響で売上高や入場数が減少していたが、西武園競輪場も例外ではなく、所沢市は97年度から赤字経営に転落した。赤字の原因の一つとして日本自転車振興会への交付金の高さが挙げられている。交付金制度は、公営ギャンブルへの批判を避けるために導入された制度で、公営ギャンブルを運営する地方公共団体が国の外郭団体である日本自転車振興会に対して車検売上金の約3.7%を支払うことになっていた。売上金ベースで赤字の状態でも支払いが求められていたため、1970年代末から交付金制度の是正を求める声があり、1990年代の景気低迷によってその声はさらに強まった。開催自治体が所属している「全国競輪施行者協議会」は交付金の比率変更を求めていたが、競輪を管轄する経済産業省車両課や日本自転車振興会は経営の合理化などを要求して反発を強めていた。 所沢市の競輪事業の赤字額は約1800万円(1997年度)、約2000万円(1998年度)、約8000万円(1999年度)と年々膨らみ、2001年3月、齋藤は交付金制度の見直しを求めて、日本自転車振興会に対する交付金9700万円のうち赤字分5000万円の支払い拒否を正式に表明した。経済産業省は制裁としてレースの開催権を剥奪したほか、振興会は民事提訴の検討を行なっていたが、所沢市の行動に賛成する自治体も現れ、松戸市など41自治体が「所沢を支援する競輪施行者の会」を発足し、交付金制度の改革を求めて国や振興会側と対立姿勢を強めた。しかし、5月31日になって齋藤は未納金5000万円を支払う方針を発表し、レースが例年通り開催されることとなった。方針転換の理由について、産業構造審議会の競輪小委員会で交付金問題を審議するとの回答が国から得られたことを挙げ、齋藤は「この問題で初めて岩(国)が動いた」と評価した。 その後、2001年度・2004年度は黒字に持ち直したが、赤字経営が続き、県や他市との経営効率化の交渉も不成立に終わったことから、2006年8月に齋藤は競輪事業からの撤退を正式に表明した。
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