西武園事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/31 02:33 UTC 版)
1960年(昭和35年)9月13日の西武園競輪場で、白鳥は大本命を背負って出走したが、スタート直後に自転車がパンクしてしまう。結果は競走中止で、既に競走が成立した時点であったため場内は騒然となっていたが、白鳥が吹っ飛んだのに配当があまりにも安すぎるという話に繋がり「これは八百長ではないか」と一部の客が激昂したため、騒擾事件となってしまった。白鳥自身にとってみれば不可抗力の出来事であったが、この事件以後白鳥は、「ファンは勝つべきものが勝たないレースには納得してくれない」という気持ちから猛練習に取り組むようになった。 なおこの日、寺内大吉や阿佐田哲也も同競輪場に来場していたが、阿佐田は見ず知らずの客に「これからもっとひどいことになるから、さっさとここから逃げたほうがいいよ。」と諭され、すぐさま同競輪場から出たという。
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