西安事変と日中戦争
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1930年(民国19年)8月、牟中珩は東北陸軍第23旅上校参謀長に任ぜられる。同年9月、中原大戦で蔣介石支持を打ち出した張学良の命で、第23旅は北平に駐屯する。1932年(民国21年)春、第23旅は独立第14旅と番号変更されたが、そのまま牟は上校参謀長を務めた。翌年、独立第14旅は第114師に昇格し、牟はそのまま同師参謀長となっている。同年夏、第679団団長に任ぜられた。1935年(民国24年)6月、于学忠が河北省政府主席を免ぜられて甘粛省政府主席に異動すると、牟もこれに随従する。1935年(民国24年)8月、牟は第114師少将師長に昇進し、陝西省北部の紅軍包囲に参加した。翌年12月の西安事件にも張学良や于に従って参与している。 日中戦争(抗日戦争)勃発後、牟中珩は徐州会戦に参戦し、日本軍と激しい戦闘を繰り広げた。1938年(民国27年)7月、第51軍副軍長に昇進した(第114師師長も兼任)。同年8月から武漢会戦に参戦している。翌1939年(民国28年)3月、第51軍軍長に昇進し、同年9月には山東省政府委員にも任ぜられた。1942年(民国31年)1月、山東省政府主席に昇進し、同年8月には国民政府行政院水利委員会委員も務めている。1945年(民国34年)1月、第10戦区副司令長官に昇進し、6月には陸軍中将銜を授与された。
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