西京高校時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 07:09 UTC 版)
2017年に山口県立西京高等学校に進学。高校1年時には1500mで県大会優勝、中国総体5位でインターハイ出場を決める。秋に行われたえひめ国体では少年B3000mへ県代表選手として出場し7位入賞を果たす。全国高校駅伝では2区を走り区間12位とまずまずの走りを見せた。しかし、都大路以前から感じていたという足の痛みから、都道府県駅伝への出走は回避した。 高校1年時冬より、3000mSCへの挑戦を駅伝部顧問の二宮啓教諭から勧められるようになる。これは部活動ではなく、体育科教諭の二宮が授業でハードル走を行った際にその適性を見抜いたものである。2018年シーズンより3000mSCにも取り組み始めたが、結果として県総体優勝、中国総体2位、インターハイ3位(日本人1位)と多くのタイトルを獲得した。秋には日体大記録会に参加し、5000mで当時の世代最速記録をマーク。順風満帆で全国高校駅伝を迎えたが、都大路の1区では31分10秒、区間27位と撃沈してしまった。それでも年明けの都道府県駅伝では花の1区にエントリーされると、スローペースの中からラスト1キロ、ラスト500mと2段階スパートを効かせて区間賞を獲得した。なお、この際の20分32秒という記録は歴代1区区間賞の最遅タイムであり、スローペースからの切り替えという菖蒲が得意とする展開にハマった区間賞とも言えるだろう。 最終学年はケガに苦しんだが、総体では1500m、3000mSCの両種目で入賞を果たす。県勢での2種目入賞は櫛部静二(1989年・宇部鴻城高)以来30年ぶりの快挙であった。その後の国体では、春・夏季に距離が踏めていなかったことも影響し少年A5000mでは入賞できずに終わってしまった。しかし、徐々に距離を踏み調子を上げ迎えた11月の日体大記録会では10000mにエントリーすると、「都大路の調整の一環」であったため、9000mまでは1キロ2分55秒のイーブンで走ったが、ラスト1キロでスパートし28分58秒でフィニッシュ。10000mでの28分台をマークした。
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