西代藩とは? わかりやすく解説

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西代藩

読み方:ニシダイハン(nishidaihan)

膳所藩支藩


西代藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/13 13:34 UTC 版)

西代藩(にしだいはん、にしんだいはん[注釈 1])は、河内国錦部郡西代村(現在の大阪府河内長野市西代町)を居所として、江戸時代中期に存在した藩[4]。1679年、近江膳所藩本多家の分家として、本多忠恒に1万石が分知されて成立。1711年、2代本多忠統のときに西代に陣屋を置く。1732年に伊勢神戸藩に転出。




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西代藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 19:24 UTC 版)

神戸藩」の記事における「西代藩」の解説

西代藩(にしだいはん)は、江戸時代中期河内国存在した藩。 延宝7年1679年)、近江国膳所藩第2代藩主本多康将次男本多忠恒は、河内国錦部郡近江国高島郡甲賀郡において1万石を分知され、西代藩が立藩した。 第2代藩主本多忠統正徳元年1711年)、西代大阪府河内長野市西代町)に陣屋構えた。忠統は大番頭寺社奉行昇進し享保10年1725年)には若年寄累進した。享保17年1732年)、伊勢国神戸藩転封となり廃藩となった

※この「西代藩」の解説は、「神戸藩」の解説の一部です。
「西代藩」を含む「神戸藩」の記事については、「神戸藩」の概要を参照ください。

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