西への探検
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/09/01 00:17 UTC 版)
1803年のルイジアナ買収に続いて、ルイス・クラーク探検隊が太平洋に到着する任務を帯びてセントルイスを出発した。1804年、ルイスとクラークは今日のカンザス州カンザスシティにあるカンザス川とミズーリ川の合流点(現在のコーポイント川岸公園と認識されている)で3日間宿営した。カンザス川とミズーリ川の合流点滞在中にフランス人毛皮交易業者と会い、地図を作った。カンザスは短期間ミズーリ準州の一部となった後、1821年に未組織状態に戻った。1821年にはまた、南西部への輸送道路としてカンザスを横切るサンタフェ・トレイルが開通し、ミズーリ州とニューメキシコのサンタフェとを結んだ。 ルイス・クラーク探検隊の後は特に、セントルイスからミズーリ川上流の交易が急成長したので、合衆国政府はこの地域の統治拠点を造ろうと考えた。1827年5月8日、レブンワース野営地、すなわちレブンワース砦(ヘンリー・レブンワースに因んで名付けられた)が、合衆国の西部辺境への旅人を守るためにインディアン領地の直ぐ内側に建設された。ここが将来のカンザス州における初めてのアメリカ白人の恒久的定住地となった。カンザスを横切るサンタフェトレイルの一部は、1840年代に開通したカリフォルニア・トレイルやオレゴン・トレイルを通る移住者に使われた。西方の道は、1860年代に鉄道がその役目を引き受けるまで、重要な商業と軍事の幹線道路として役立った。ユタ、カリフォルニアあるいはオレゴンに行く旅人にとっては、カンザスが重要な中継地点であり、旅装を整える場所だった。ワゴンベッド・スプリング(またはローワー・スプリング、ローワーシマロン・スプリング)は、サンタフェトレイルのシマロン経路で重要な給水場となった。他にもポイント・オブ・ロックスやポーニー・ロックが道沿いの重要な場所となった。
※この「西への探検」の解説は、「カンザス州の歴史」の解説の一部です。
「西への探検」を含む「カンザス州の歴史」の記事については、「カンザス州の歴史」の概要を参照ください。
- 西への探検のページへのリンク