西への延伸
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1753年、ルイ15世はテュイルリー庭園とシャンゼリゼの間の低湿地に広場を作ることを計画し、1755年には建築家ガブリエルによる設計が完了する。1763年にはこの広場にルイ15世の銅像が設置された。広場は当初ルイ15世広場と呼ばれ、後に革命広場、さらにコンコルド広場と名を変えた。 広場を通りテュイルリー-シャンゼリゼの軸に直交する方向には、マドレーヌ寺院(1764年)からセーヌ川のルイ16世橋(1791年、現コンコルド橋)に至る直交軸が形成された。 一方1770年からはシャンゼリゼの並木道がさらに西へ伸ばされ、1772年にはヌイイにセーヌ川を渡る石造の橋が架けられた。このときシャイヨーの丘はシャンゼリゼの勾配を緩和するため5mほど削られている。またヌイイ橋の対岸のシャントコックの丘にはシャイヨーの丘と対になる広場が作られた。これが後のラ・デファンスである。
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西への延伸
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「IRTフラッシング線」の記事における「西への延伸」の解説
詳細は「ニューヨーク市地下鉄7系統延伸」を参照 フラッシング線はマンハッタンで西へ、そして南へ延長され、2015年9月13日に開通した。この区間にはハドソン・ヤードにつながる、34丁目・11番街に1駅のみ開設されたが、かつては41丁目・10番街の位置にももう1つの駅が提案されていた。資金が調達され、建設は2007年末に始まった。延長区間の開通は何度かに渡って延期された。
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