行政の変革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 07:20 UTC 版)
戊辰戦争で敗れた仙台藩は、減封後にめまぐるしい制度改革を実施した。その一つとして、1871年(明治4年)に検断・肝入を通じた支配を改め、町人地の支配のために市長・副市長を任じ、その下の各町に町人代を置いた。大町の町人代は一丁目の桜井伊三郎と三・四丁目の佐々木重兵衛である。彼らが一二丁目と三四五丁目を分担したのであろう。市長・副市長・町人代は、同年の廃藩置県の後もしばらく存続したが、翌年廃止された。 1872年(明治5年)に施行された大区小区制で、大町は小6区の一部と小7区の一部に分けられた。芭蕉の辻から東が小6区、西が小7区である。1876年(明治9年)に小区が大きくまとめられることになったとき、大町は全体が仙台西南部を画す小7区の一部になった。1878年(明治11年)には郡区町村編制法によって仙台区が発足した。このとき、区内の地域割りとしては、1番から5番の組が設けられた。境界がまた芭蕉の辻に置かれたので、大町もそれより西が二番組、東が四番組に入れられた。 区割りの変更はまだ続いたが、大町一二丁目、三四五丁目を単位とする行政単位は大区小区制の導入で消え、以後、江戸時代のまとまりはそのままの区割りでは復活しなかった。
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