蜜月の終わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 03:24 UTC 版)
南部人全体の失業率改善には寄与せずとも、南部経済の底上げと北部企業への公共投資には成功していたバノーニ計画は一定の評価を獲得し、その後も同様のスタイルでの開発計画が進められていった。だが1980年代以降、世界経済全体が後退を開始し、イタリア経済もまた不安定化するとその蜜月も終わりを迎える。不況の中、大企業中心の北部と南部の経済は著しい打撃を受け、中小企業の連合体が中心の中部経済(俗に言う第三のイタリア)は難を逃れた。既に不況前の時点で財政赤字を出していたイタリア政府には経済全体の衰退を救う術はなかった。 北部の経済が後退すると、北部人の中で南部への投資がイタリア経済の体力を奪ったのだと考え、それが北部の経済を中央政府が救えなかった理由だと考えた。しかし実際にはイタリア経済を衰退させたのは偏った年金などの福祉政策にあり、地域政策はむしろ経済全体に良い結果を与えていた。だが経済不況後もマフィアとの癒着や国営企業の救済目的から大規模な南部救済策が進められていた事も事実であり、困窮する北部の労働者層は政府の南部への「甘やかし」に敵愾心を深め、これが北部同盟の伸張を生んだ。
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