藤姓赤須氏とは? わかりやすく解説

藤姓赤須氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 14:54 UTC 版)

赤須氏」の記事における「藤姓赤須氏」の解説

常陸国本姓藤原氏とする赤須氏がある。 常陸国赤須氏藤原秀郷の五世孫・太田大夫通延の子・佐都荒大夫通成の三男彦四郎通頼が久慈郡赤須により赤須氏起こしたという。赤須城主にして佐都神社長官務める。家系守護佐竹氏仕える者と同族守護代小野崎氏仕える者とがあった。 佐竹家臣としては、南高野城主として赤須雅楽介の名が見える他、南北朝期には建武3年1336年6月北朝方の佐竹貞義率いる軍が北畠顕家那珂通辰らの南朝方と甕ノ原にて激突し南朝方は敗れて撤退する際、佐竹軍の殿軍として赤須信濃守通長が奮戦したとされ、この功により通長は25貫の加増受けたという。戦国期には佐竹義重家臣として守護代 江戸氏との戦いに功を挙げた武将として赤須丹後守の名が見え天正18年1590年12月、義重より官途状および那珂郡戸崎久慈東郡大里のうちより350貫を授かるという。小野崎氏家臣赤須氏小野崎通経により、大森氏、瀧氏、天龍氏、石佐氏、波氏、茅根氏ともども家老列している。 系譜 彦四郎通頼 - 兵庫介通俊 - 兵庫介通郷 - 兵庫介通景 - 次郎通胤 - 次郎太郎通胤 ※ 通俊には3子あり。長男 兵庫介通兼、次男嫡子兵庫介通郷、三男 通公がいた。 通郷には2子あり。嫡男 次郎通胤、次男 三郎通定がいた。 次郎通胤には2子あり。次郎太郎通胤、次男 三郎通重である。

※この「藤姓赤須氏」の解説は、「赤須氏」の解説の一部です。
「藤姓赤須氏」を含む「赤須氏」の記事については、「赤須氏」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「藤姓赤須氏」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤姓赤須氏」の関連用語

1
34% |||||

藤姓赤須氏のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤姓赤須氏のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの赤須氏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS