藤姓塩谷氏とは? わかりやすく解説

藤姓塩谷氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 17:23 UTC 版)

塩谷氏」の記事における「藤姓塩谷氏」の解説

源姓塩谷氏最後当主・朝義の養子となった竹千代元服して朝業と名乗り家督継いだことで藤姓塩谷氏の歴史が始まる(「秋田塩谷系譜」)。朝業は婿として養子になったとも伝わる(「喜連川塩谷系譜」)。藤姓とは、朝業の実家である宇都宮氏藤原氏出自であったためである。 朝業は、堀江山城山続き北側500mほどの山頂新たに川崎城築き居城とする。菩提寺長興寺。 藤姓塩谷氏は、約260年300年間に渡り続くが、応永30年1423年8月9日、教綱の時、関東公方足利持氏と結び、宇都宮氏謀反時の宇都宮当主宇都宮持綱を自領の幸岡原に狩り招いて殺害。この35年後の長禄2年1458年5月8日今度は教綱が、和睦口実宇都宮城招かれところを殺害され、藤姓塩谷氏は衰退する5月13日宇都宮城からの帰り氏家討たれたと記す文献もあり)。 教綱殺害により、藤姓塩谷氏時代終焉するが、その経緯には2説がある。教綱の死で藤姓塩谷氏が断絶し宇都宮正綱の四男弥五郎名跡継いで宇都宮氏影響下に入ったとする説(『下野国誌』所収塩谷系図」)と、教綱の子に隆綱があって文明10年1478年正月18日塩谷弥五郎養子迎え家督を継がせたという説(「秋田塩谷系譜」)である。後者の説では、この養子関係に拠って宇都宮氏塩谷氏和睦したという。

※この「藤姓塩谷氏」の解説は、「塩谷氏」の解説の一部です。
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