藤姓関氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 14:11 UTC 版)
鎮守府将軍・藤原秀郷の血を引く名門結城氏の一族にあたる。結城家2代当主である結城朝広の四男・朝泰が関氏を称した。その居城である関城は南北朝時代の初期に北畠親房が拠点とするなど、常陸国における南朝方の中心となった城である。興国4年(1343年)、関城主であった関宗祐、宗政親子は高師冬の大軍に攻められて討死し、親房は吉野に戻っている。
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