藤姓塩谷氏時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/27 15:14 UTC 版)
「川崎城 (下野国)」の記事における「藤姓塩谷氏時代」の解説
川崎城は、正治建仁年間(1199年~1203年)に塩谷朝業により築城され、以後塩谷氏の居城となる。藤姓塩谷氏とは、朝業から隆綱までの塩谷氏のことであるが、この時代の川崎城に関する事績は少ない。おそらく、侵攻されることもなく塩谷氏の城として安泰であったためと思われる。 川崎塩谷伯耆守実録には、文安3年(1446年)8月3日(大沢家記では8月13日)に宇都宮持綱が川崎城を攻めた記録があるが、これは、塩谷教綱が川崎城下の幸岡ヶ原で宇都宮持綱を殺害した事件を正当化するために残された記録であると考える説があり、喜連川判鑑など他の資料と照らし合わせてみても事実ではない、とする。当地には、宇都宮持綱の墓とされる上卵塔があるが、矢板市が設置した史跡案内板も、この記録については採用しない記述をしている。
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