藤原氏長者へとは? わかりやすく解説

藤原氏長者へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 14:20 UTC 版)

藤原頼長」の記事における「藤原氏長者へ」の解説

9月26日立腹した忠実摂関家の正邸東三条殿宝物朱器台盤接収し氏長者地位剥奪して頼長に与え、忠通を義絶した。さらに翌仁平元年1151年正月3日忠実は忠通に譲渡していた藤原師実藤原師通日記正本没収し、これも頼長に与えた(『台記久安7年正月3日条)。更に忠実宇治殿領の内、忠通に譲渡していた京極殿領も奪還没収した上で、これも頼長に与えられたが、ただし預所補任などは引き続き忠実が行うなど、京極殿領の事実上支配権忠実の手中にあった。また忠通の同母姉・泰子高陽院)までもが異母弟・頼長の後ろ盾となり、所有する摂関家拠点一つ土御門殿を頼長に譲った。この状態でしかし鳥羽法皇先の入内問題同じよう曖昧な態度終始し、忠通を関白留めたまま頼長に内覧の宣旨下す。ここに兄弟関白内覧並立するという異常事態となった。ただしこの内宣下については、近衛天皇疎遠に悩まされ鳥羽法皇は、その原因として天皇補佐する忠通が原因であると疑って、頼長を立てることで忠通を牽制させる動機があった、とする説も出されている。 忠通の子慈円著作『愚管抄』の記すところによると、かつて忠通に息子として育てられた恩を忘れられない頼長は、宮中で忠通に出会った際に丁重に会釈する礼を尽くすことで関係改善糸口探ったが、父と兄の頑なな態度前に周囲同情集めたものの)失敗終わっている。

※この「藤原氏長者へ」の解説は、「藤原頼長」の解説の一部です。
「藤原氏長者へ」を含む「藤原頼長」の記事については、「藤原頼長」の概要を参照ください。

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