藤原氏系 勘解由小路家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 07:42 UTC 版)
「勘解由小路家」の記事における「藤原氏系 勘解由小路家」の解説
歴史的には、藤原氏で勘解由小路を号した家系には以下のものがある: 藤原北家世尊寺流 - 藤原伊尹の子孫経尹-行尹と続き、行尹が勘解由小路を号したとある。 藤原北家勧修寺流 - 為房-為隆-光房(勘解由次官)と系図に記され、さらに子孫高清(勘解由小路)とある。 藤原北家日野氏流 - 日野資長-兼光-頼資(勘解由小路)とあり、頼資の子経光-兼仲と続く嫡流は後に広橋と号した。 藤原北家日野烏丸流 - 烏丸光広-(勘解由小路)資忠と見える。 本項では 4. について記述する。 勘解由小路家(かでのこうじ け)は、藤原北家日野流烏丸家の分家にあたる堂上家。 正保元年(1644年)、烏丸光広の次男の資忠によって創立された。家格は名家。儒道を家学とし、家禄は130石。 雲上明鑑に、「始祖は烏丸権中納言豊光六代正二位権大納言光広の末男正三位参議資忠なり」とある。門流は近衛殿。 明治維新後は華族令施行により資生が子爵として華族に列せられた。 華族としての最後の当主は資承。なお、資淳を養子に迎える際、一度親族にあたる武者小路実篤の養子にしてから勘解由小路家に迎え入れた。現在は山口県に在住している。
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