薩軍主力北部進出と高瀬の戦いとは? わかりやすく解説

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薩軍主力北部進出と高瀬の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 19:11 UTC 版)

西南戦争」の記事における「薩軍主力北部進出と高瀬の戦い」の解説

熊本城攻撃始まった2月22日神戸発した第1旅団第2旅団合わせて5600名は博多上陸し順次南下開始する24日久留米木葉敗戦報告聞いた野津鎮雄三好重臣旅団長南下を急ぐ一方三池街道一部部隊分遣した。歩兵第14連隊石貫に進む一方で高瀬方面捜索出した一方薩軍24日より増援部隊次々と熊本より進発し、3方向から北上をしていた。 山鹿 - 野村忍介(5個小隊植木 - 越山(3個小隊)、池辺吉十郎熊本主力伊倉 - 岩切次郎児玉強之助ら(3個小隊)、佐々友房ら(熊本隊3個小隊25日未明歩兵第14連隊高瀬進出を企図して山鹿街道へ1個中隊を派遣し本隊の3個中隊は高瀬道を進撃した払暁には高瀬無事に入った14連隊そのまま菊池川堤防沿いに部隊を展開させ薩軍待ち構えた。 第1第2旅団25日には南関入って本営設けた第1旅団野津少将はただちに貴下歩兵第1連隊長長谷川道中指揮の4個中隊を高瀬増援に送る。その頃征討軍が高瀬川の線に陣を構築するのを見た岩切らは高瀬川橋梁から攻撃仕掛け熊本隊は渡河して迫間岩崎原攻撃した。しかし、岩切らは石貫東側台地からの瞰射苦しみ熊本隊も長谷川隊などの増援得た14連隊右翼妨げられて、激戦対峙すること2時間夜になって退却した

※この「薩軍主力北部進出と高瀬の戦い」の解説は、「西南戦争」の解説の一部です。
「薩軍主力北部進出と高瀬の戦い」を含む「西南戦争」の記事については、「西南戦争」の概要を参照ください。

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