薩軍の三州盤踞策と人吉攻防戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 19:11 UTC 版)
「西南戦争」の記事における「薩軍の三州盤踞策と人吉攻防戦」の解説
4月21日、薩軍は矢部浜町の軍議で、村田新八・池上が大隊指揮長を辞め、本営附きとなって軍議に参画すること、全軍を中隊編制にすること、三州(薩摩・大隅・日向)盤踞策を採ること、人吉をその根拠地とすることなどを決めた。この時に決められた諸隊編成および指揮長は以下の通りである。 奇兵隊 - 指揮長野村忍介 振武隊 - 指揮長中島健彦 行進隊 - 指揮長相良長良 雷撃隊 - 指揮長辺見十郎太 干城隊 - 指揮長阿多壮五郎 常山隊 - 指揮長平野正介 正義隊 - 指揮長河野主一郎 鵬翼隊 - 指揮長淵辺群平 勇義隊 - 指揮長中山盛高 この後即日、薩軍は全軍を二手に分けて椎原越えで人吉盆地へ退却した。 4月27日、人吉盆地に入った薩軍は本営を人吉に置いた。28日に江代に着いた桐野はここに出張本営を置き軍議を開いた。江代軍議で決められたのは、人吉に病院や弾薬製作所を設けること、各方面に諸隊を配置することなどで、逐次実行に移された。この時、桐野が人吉を中心に南北に両翼を張る形で薩軍を以下の通りに配置した。 薩軍諸隊配置豊後口方面 - 指揮長野村忍介 鹿児島方面 - 指揮長中島健彦 同上 - 指揮長相良長良 大口方面 - 指揮長辺見十郎太 江代口方面 - 指揮長阿多壮五郎 中村・加久藤・綾方面 - 指揮長平野正介 神瀬・小林方面 - 指揮長河野主一郎 佐敷方面 - 指揮長淵辺群平 川内方面 - 指揮長中山盛高 高原口方面 - 指揮長堀与八郎 対する官軍の配置は以下の通りである。 官軍旅団配置健軍・木山方面 - 第1旅団(野津鎮雄少将) 砂取・川尻方面 - 第2旅団(三好重臣少将) 高森方面 - 第3旅団(三浦梧楼少将) 鹿児島方面 - 第4旅団(曾我祐準少将) 同上 - 別働第1旅団(高島鞆之助少将) 南種山・五箇庄方面 - 別働第2旅団(山田顕義少将) 佐敷・水俣・大口方面 - 別働第3旅団(川路利良少将) 比奈久・球磨川口方面 - 別働第4旅団(大山巌少将) 矢部浜町方面 - 熊本鎮台(谷干城少将)
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