薩長同盟の締結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 15:42 UTC 版)
下関戦争における長州藩の敗戦から、攘夷の無謀を悟った慎太郎は、開国による富国強兵論へ転じる。 また、禁門の変以降朝敵と定められ、幕府による再討(第二次長州征伐)が迫りつつあった長州藩の救援と、雄藩連合による国家の再建を実現するため、土佐浪士の土方久元らと共に、薩長同盟の実現を目指して周旋を開始する。 この動きに、長崎で亀山社中(後の海援隊)を結成した坂本龍馬なども賛同し、慶応2年1月21日(1866年3月2日)(あるいは22日(3日))、京都二本松薩摩藩邸(現在地・同志社大学)で薩長を和解させ、堀川通一条東の近衛家別邸(薩摩藩家老・小松清廉寓居/御花畑御屋敷)において薩長同盟を締結させた。
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