著作と著作活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 07:30 UTC 版)
1911年から成都の公論日報に「厚黒学」「厚黒経」「厚黒伝習録」と名づけた文章を発表し始めたところ、世論の反響が大きく物議の種となったために、掲載を中断した。1927年に「宗吾放談」と名を変えて改定した文章から、1934年に『厚黒学』3巻を抜きだして成都で刊行したところ、即日で売りつくしたという。林語堂が主宰していたユーモア雑誌『上海論語半月刊』に転載されたこともある。1937年『厚黒学』で提出した懐疑に対する解答として『心理と力学』を発表した。「二十四史」「四書五経」や漢学に対する深い教養と疑惑を兼ね備え、「歴史を動かそうとする人物は厚顔無恥(厚黒)であれ」という逆説的な主張、論語などの古典をまねた皮肉な表現により、「中国文化的20大奇才」と呼ばれることもある。
※この「著作と著作活動」の解説は、「李宗吾」の解説の一部です。
「著作と著作活動」を含む「李宗吾」の記事については、「李宗吾」の概要を参照ください。
- 著作と著作活動のページへのリンク