若林強斎とは? わかりやすく解説

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わかばやし‐きょうさい〔‐キヤウサイ〕【若林強斎】

読み方:わかばやしきょうさい

[1679〜1732]江戸中期儒学者神道家京都の人。名は進居。浅見絅斎(あさみけいさい)に学び崎門(きもん)学派継ぎ実践躬行強調した。著「若林語録」など。


わかばやしきょうさい 【若林強斎】

江戸中期儒者神道家。名は進居、号は寛斎とも。京都の人。浅見絅斎学び山本復斎・西依成斎と共に浅見門下三傑といわれた。垂加神道修め山崎闇斎学統継承した。著『大学講義』他。(一六七九~一七三二

若林強斎

読み方わかばやし きょうさい

江戸中期儒学者神道家京都生。名は初め正義、後に進居、通称は新七・進七、別号に寛斎。居所を望軒、神道霊社を守中と号した浅見絅斎師事山本復斎・西依成斎と共に浅見三傑称された。師の歿後学統継ぎ門下から多く俊才排出して崎門学派継承大きな功績を残す。また神道玉木葦斎に学び後期以降尊王思想にも影響与えた著書に『家礼訓蒙疏』『強斎語録』等。享保17年(1732)歿、54才。

若林強斎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 06:51 UTC 版)

若林 強斎(わかばやし きょうさい、1679年8月14日延宝7年7月8日)‐ 1732年2月15日享保17年1月20日))は、江戸時代中期に活躍した儒学者神道家である。名は進居。通称は新七。別号に寛斎・自牧、神道号を守中という。山本復斎と並び浅見絅斎門の双璧と称された。

経歴・人物

京都に生まれ、浅見絅斎の門人となる。

山崎闇斎派(崎門学派)の朱子学を学び、また玉木正英から神道を受け、儒学と神道を兼学して「実践躬行」を唱えた。

絅斎の没後、尊敬する楠木正成に因み、京都で「望楠軒」と言う家塾を開き、西依成斎・小野鶴山・沢田一斎・竹内式部・山口春水等の門人を輩出した。晩年、大津錦織の地に一屋を借りて「滝津亭」と名付け、しばしば通って修養に励んだ[1]

昭和3年(1928年)、正五位を追贈された[2]

主な著作物

  • 「家礼訓蒙疏」
  • 「若林子(強斎)語録」

脚注

  1. ^ 金本正孝『若林強斎先生「滝津亭」の遺跡を尋ねて』靖献堂
  2. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.56

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