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若林徳懋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/14 23:40 UTC 版)

若林徳懋

若林 徳懋(わかばやし のりしげ、1874年明治7年)12月20日[1] - 1939年昭和14年)1月24日[2])は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家実業家衆議院議員

経歴

島根県周吉郡、のちの中条村、現在の隠岐の島町中央部出身[3]1896年(明治29年)島根県師範学校を卒業[2]。ほか、明治法律学校早稲田専門学校に学ぶ[3]。小学校長となったのち農業に転じ、ついで中条村長、村農会長、島根県会議員、同参事会員、西郷町外十一箇村組合議員を歴任[2]。ほか、満韓塩業社員、原田興業社長、同顧問を務めた[2]

1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙で島根県第6区から立憲政友会所属で出馬して当選し[3]、1期務めた[2]。のち政友本党所属に転じた[2]

脚注

  1. ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、25頁。
  2. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 編 1962, 560頁.
  3. ^ a b c 衆議院事務局 1920, 163頁.

参考文献




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