芸備線・木次線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 05:47 UTC 版)
芸備線と木次線が全通した1937年までは、芸備線と省営バス雲芸線の連絡によって陰陽連絡の使命を果たしていた。全通後まもなく戦時体制に入ったため、この路線に優等列車が走り始めるのは1953年に米子駅と広島駅を結ぶ快速列車として設定された「ちどり」からである。当初は週末のみ運転臨時列車であったが、1959年には定期準急列車に昇格した(のち急行に格上げ)。また、1962年には同じ区間を芸備線と伯備線を経由して結ぶ急行「しらぎり」も運行開始された。 しかし、木次線はスイッチバックなどが存在する低規格の山岳路線のため、列車の速度向上による時間短縮はままならず、高速バスに所要時間で太刀打ちできないばかりか、鉄道に限っても新幹線で岡山に出てから伯備線・津山線を回ったほうが所要時間が短くなるという有様になった。「鉄道ジャーナル」1989年9月号の比較ルポにおいても、編集部側では急行「ちどり」は考えていなかったという。1990年に急行「ちどり」は廃止、陰陽連絡の使命は失われた。 詳細は「みよし (列車)」を参照
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