芥川龍之介・三島由紀夫との比較
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:07 UTC 版)
「太宰治と自殺」の記事における「芥川龍之介・三島由紀夫との比較」の解説
太宰がその文芸活動に大きな影響を受け、服毒自殺をした芥川龍之介と、やはり自殺した三島由紀夫との比較もなされている。米倉育夫によれば、芥川の後期作品には「他者」からの注察、監視というモチーフが顕著に見られることから、統合失調症が疑われるとしている。芥川は統合失調症の症状である妄想等の病的体験を、自らが持つ知的能力によって合理化し、自己同一性を保とうと試みたものの、結局、病的体験に圧倒されたと分析した。このような見解に立つと、芥川の「唯ぼんやりとした不安」という言葉も、精神障害の症状としての不安感であったと考えている。一方太宰の場合は、芥川と同様に他者との関係に病理を抱えていたが、芥川のように「ぼんやりとした」捉えどころの無いものとは異なり、具体的な他者一般、そして個人の集合体としての世間との間の不安や恐怖であった。他者や世間との関係性が取れなかった太宰は、道化としての見せかけの適応に頼ったものの、その適応が破綻することによって死に追いやられたと見なしている。 太宰治のことを三島由紀夫が嫌っていたのは広く知られた事実である。三島自身、「氏(太宰治)は私のもっとも隠したがっていた部分を故意に露出する型の作家であったためかもしれない」と述べており、文芸関係者からも三島の太宰嫌いは近親憎悪のようなものでなかったかとの説が出されている。米倉育夫によれば太宰と三島には自己愛者として多くの共通点がある一方、自己愛の方向性が異なるとの見方があり、太宰の場合、確かな母親的存在が無い環境下で成長したため、女性、母親的なものを求めるようになり、一方、父親との関係性が希薄であった三島は男らしさを追求する方向へと走った。しかし共に他者との関係性に病理を抱えていたため、結局、太宰は女性的なもの、母親的なものを求めながらも自らが満たされることは無く、愛人の女性とともに心中し、三島は理想の父親像を追い求めながら自決するに至ったとの分析がある。
※この「芥川龍之介・三島由紀夫との比較」の解説は、「太宰治と自殺」の解説の一部です。
「芥川龍之介・三島由紀夫との比較」を含む「太宰治と自殺」の記事については、「太宰治と自殺」の概要を参照ください。
- 芥川龍之介三島由紀夫との比較のページへのリンク