良尚法親王とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 宗教 > 仏教 > 法親王 > 良尚法親王の意味・解説 

良尚法親王

読み方りょうしょうほうしんのう

→ま30252曼珠院良尚法親王

良尚入道親王

(良尚法親王 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/15 09:18 UTC 版)

良尚入道親王(曼殊院蔵)

良尚入道親王(りょうしょうにゅうどうしんのう、元和8年12月16日1623年1月16日)- 元禄6年7月5日1693年8月6日))は、江戸時代前期の京都曼殊院門跡。父は八条宮智仁親王。母は丹後国宮津藩京極高知の娘常照院。幼称は二宮。俗名は勝行・寛恒。

曼殊院宮の付弟(ふてい)となり、1632年寛永9年)後水尾天皇の猶子となった。1634年(寛永11年)8月に親王宣下を受け、9月に曼殊院で得度している。1646年正保3年)3月には天台座主に任じられ、1656年明暦2年)現在の京都御所近くにあった曼殊院を洛北一乗寺村へ移転し、伽藍を整備している。1681年天和元年)には曼殊院の門主に任ぜられて竹之内門跡と称された[1]1687年貞享4年)4月に曼殊院を退院して天松院と号した。

絵画を狩野探幽尚信兄弟に学び、池坊華道を納めて古典に通じるなど文化人としても知られた。

脚注

  1. ^ 禁中並公家諸法度』第13条では門跡になれるのは天皇の皇子と連枝(兄弟)に限られ、それ以外の皇親は門跡にはなれないと解されてきたが、同法度の制定から65年にして天皇の猶子となった宮家出身者が門跡とされたのである(高埜利彦『近世の朝廷と宗教』吉川弘文館、2014年、P138)。



良尚法親王と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「良尚法親王」の関連用語

良尚法親王のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



良尚法親王のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの良尚入道親王 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS