艦隊自沈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 23:28 UTC 版)
「スカパ・フローでのドイツ艦隊の自沈」の記事における「艦隊自沈」の解説
6月21日午前10時ごろ、ロイターは、艦隊に対し自沈の信号に備えるよう旗旒信号で命じた。11時ごろ、ロイターは旗旒で信号「全ての部隊長および水雷艇長に告げる。本日付命令書の第11段落(を執行せよ)。抑留艦隊長より。」という内容を送った。信号は手旗信号や探照灯でも繰り返された。自沈はすぐに開始された。シーコックや注水バルブが開かれ、艦内の導水管は破壊された。自沈が開始された際に水の流入を早めるため、舷窓は既に開けられており、防水扉や復水器のカバーも解放され、また隔壁に穴が開けられた艦もあった。 しばらくは目立った変化はなかったが、正午にフリードリヒ・デア・グローセが右に激しく傾き始め、すべての艦はドイツの軍艦旗をメインマストに掲揚した。そして、乗組員達は退艦し始めた。スカパ・フローに残っていたイギリス海軍の戦力は駆逐艦3隻とトローラー7隻、数隻のドリフターであり、駆逐艦のうち1隻は修理中であった。フリーマントルは12時20分に自沈の知らせを受け、12時35分に訓練を中止し全速力でスカパ・フローへ向かった。彼は14時30分にスカパ・フローに到着したが、その時浮いていたのは大型艦のみであった。フリーマントルは利用可能なすべての艦船に対して、ドイツ艦艇の自沈を阻止するか座礁させるよう命じた。最後に沈んだのは巡洋戦艦ヒンデンブルクであり、17時のことであった。その時までに15隻の主力艦が沈み、沈んでいないのは戦艦バーデンだけであった。また4隻の軽巡洋艦と32隻の駆逐艦も沈んだ。イギリス側が自沈をやめさせようとした際に、艦上でドイツ人9人が射殺され約16人が負傷した。 午後、1774人のドイツ人が救助され、第1戦艦戦隊の戦艦でインヴァーゴードンへ運ばれた。休戦協定を破ったためドイツ人達は捕虜として扱われNigg島の捕虜収容所に送られるとする命令をフリーマントルは出した。
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