自発態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 08:40 UTC 版)
共通語では自発を表す文法範疇が確立しておらず、「思われる」「感じられる」などの一部の感情動詞や知覚動詞にあるに過ぎないが、秋田県の北部には自発態が文法範疇として確立している地域があり、五段動詞とサ変動詞の未然形に「-サル」を、一段動詞とカ変動詞の未然形に「-ラサル」を接続することで、五段型の自発動詞を一般の動詞から生産的に生み出すことができる。これは青森県や岩手県と連続するものであるが、秋田県の中央部や県南部ではあまり用いられない。
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自発態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 08:05 UTC 版)
自発態とは、ある動作を人が積極的な意思を持って行うのではなく、自然に実現するものであることを示す形式である。共通語では尊敬や受動の形式と同じく、五段動詞には未然形に「-れる」を、一段動詞には未然形に「-られる」を接続することで表す。しかし、共通語ではこの用法は意思性が弱い「思う」「感じる」「惜しむ」などの思考動詞や知覚動詞に接続した「思われる」「感じられる」「惜しまれる」などの限定されたものに限られており、またやや文章語的である。また「泣ける」のように可能動詞の形式を使う場合や、音便形に「-てしまう」を接続する場合もあるが、これらは単独では自発としての意味が弱く、「つい」「うっかり」「自然と」などの副詞類や、「-てならない」「-てしかたがない」「-てくる」などの後続形式を伴うことでようやく自発の意味と解釈されることが多い。共通語では自発は文法範疇としての自立性が弱い。 一方、東北北部の方言では、自発が文法範疇として自立しており、生産的に用いられる方言が見られる。秋田県に隣接する青森県や岩手県では、五段型の助動詞「-(ラ)サル」を動詞の未然形に接続し、山形県では五段型の助動詞「-(ラ)ル」を動詞の未然形(カ変はクラル、サ変はスラル)に接続して、自発動詞を生産的に生み出すことができる方言がある。 秋田県では、青森県と岩手県に接する県北部および内陸部で、青森県や岩手県と共通する「-(ラ)サル」が用いられる。五段動詞とサ変動詞には未然形に「-サル」が、一段動詞とカ変動詞には未然形に「-ラサル」が接続して、それぞれ五段動詞として活用する。例えば「コノ ペンンダンバ エンク トッケァレンバ マンmダ カガサル」(このペンはインクを取り替えればまだ書ける)や「リモゴンノ ボダン コワエデデ オササラネァ」(リモコンのボタンが壊れていて押せない)のように用い、自分の意思と関係なく動作が起こることを表す。しかし、中央部や県南部ではこのような形式は活発ではなくあまり使われない。共通語で可能の形式で置き換えられるような用法では、状況可能の形式を用いて表されることが多い。
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