自然科学者としての出発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 00:08 UTC 版)
「ジークムント・フロイト」の記事における「自然科学者としての出発」の解説
1873年(17歳)ウィーン大学に入学、2年間物理などを学び、医学部のエルンスト・ブリュッケの生理学研究所に入りカエルやヤツメウナギなど両生類・魚類の脊髄神経細胞を研究し、その論文は、ウィーン科学協会でブリュッケ教授が発表した。 またフロイトは、脳性麻痺や失語症を臨床研究し論文でも業績を残している。やがて彼は、脳の神経活動としての心理活動を解明するという壮大な目的を抱いたが、当時の脳科学の水準と照らし合わせると目的へは程遠いという現実にも気づいていた。 1881年(25歳)ウィーン大学卒業。1882年(26歳)、後の妻マルタ・ベルナイスと出逢う。彼は知的好奇心が旺盛であり、古典やイギリス哲学を愛し、シェークスピアを愛読した。また非常に筆まめで、友人や婚約者、後には弟子たちとも、親しく手紙を交わした。 1884年から2年間をフロイトはコカイン研究に情熱を傾けていた。その結果、目・鼻などの粘膜に対する局所麻酔剤としての使用を着想し、友人の眼科医らとともに眼科領域でコカインを使用した手術に成功した。その後、コカインを臨床研究に使用し始める。しかし1886年になると世界各地からコカインの常習性と中毒性が報告され、危険物質との認識が広まった。そのため、医学界からは不当治療の唱導者と見なされ、追放はされなかったものの、不審の目で見られるようになってしまった。
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