臨海工業地帯の形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 09:46 UTC 版)
「田島町 (神奈川県)」の記事における「臨海工業地帯の形成」の解説
田島村の工業都市化は、1914年(大正3年)の日本鋼管(現:JFEスチール)の製鉄所と1917年(大正6年)の浅野セメント川崎工場(現:デイ・シイ川崎工場)の開業に始まる。1908年(明治41年)に浅野総一郎らが中心となって「鶴見埋立組合」が組織されて当村から横浜市神奈川地区(現:神奈川区)にかけての海面を埋め立てて港湾機能を持った工業用地の造成事業が着手され、1920年代以降、浅野財閥系企業を中心に重工業の集積が進行した。 1918年(大正7年)に川崎駅から東海道本線の貨物支線が浜川崎駅まで開業し、1926年(大正15年)に鶴見臨港鉄道(当初は貨物専業。現:JR東日本鶴見線)がこれに接続して臨港鉄道網も整備された。 臨海部への工場進出に合わせて、従来の農村部でも工場の進出や工場労働者の流入により都市化が進行した。1923年(大正12年)に田島村は町制を施行して田島町となり、さらに1927年(昭和2年)に川崎市へ編入された。 臨海部・内陸部を問わず工場の集積と人口の流入は川崎市編入後により一層進行し、京浜工業地帯の中核として発展することとなる。
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