能生騒動
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運行開始当初、単線ゆえの列車待ち合わせのため、北陸本線能生駅(当時・西頸城郡能生町、現・糸魚川市)に「白鳥」が運転停車するダイヤが組まれたが、誤って駅の時刻表や一般の時刻表に発車時刻が掲載された。これが一漁村である能生駅に新しい特急列車が客扱い停車をすると伝わってしまい、地元はたちまちお祭り騒ぎになった。 運行開始日に大勢の人が「白鳥」を出迎えたが、停車するだけでドアを開けずにそのまま走り去ってしまい、出迎えた地元の人々は愕然とした。騒動は国鉄の不祥事としてマスコミによって日本中に伝えられ、「能生(のう)はNO!」などという流行語も生まれた。 「能生駅#能生騒動」も参照
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能生騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 09:40 UTC 版)
1961年10月1日のダイヤ改正で大阪駅 - 青森駅・上野駅間に特急「白鳥」が設定された際、当時北陸本線が単線だったため、当駅で上りが運転停車を行い、下りと列車交換を行うダイヤが組まれていた。しかし、金沢鉄道管理局が作成した駅掲出の時刻表に誤って上り列車の停車時刻が記載され、また一部の市販時刻表にも時刻が掲載された。金沢鉄道管理局は、本社や中部支社から「客扱いをしない」旨の指示が届かなかったことから、客扱いをするものとしていた。一方、本社や中部支社は、「準急さえ止まらぬ駅で特急の客扱いをしないことは当然」という意識であったという。 地元では、特急停車を祝賀するつもりで「ミス能生」まで選出し、花束などを用意して「白鳥」を迎えることになった。ダイヤ改正当日の午後2時34分、停車した「白鳥」を、駅で地元の婦人会が浴衣姿で踊って出迎え、乗務員に花束まで渡したものの、ドアは開かぬまま「白鳥」は発車し、特急が停車して客扱いもするものと思っていた関係者らは落胆した。これを俗に「能生騒動」と呼ぶ。また、男性客2人は当駅まで「白鳥」を利用しようとしたが、当該列車内で車掌から「能生駅では下車できません」と告げられ、次の停車駅である直江津駅で下車しなければならなかった。この2人はこの後、国鉄に強く抗議したという。 なお能生駅は、1982年のダイヤ改正後から2000年代初めまで特急「北越」1往復が停車し、正真正銘の特急停車駅となった時期があったが、その後は能生駅での特急利用客減や、北陸本線の富山駅以東の特急が「はくたか」以外減少したこともあり、普通列車のみの停車駅に戻った。しかし、2015年3月のえちごトキめき鉄道への移管に伴い、新設された快速列車(2019年3月廃止)の停車駅となっていた。
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