股くぐり事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 07:29 UTC 版)
1995年、ディック東郷が率いるルード軍「平成海援隊」(後に軍団名を「海援隊☆DX」に改名)と抗争状態になるが、この頃から試合での不甲斐なさが目立ち、他のデルフィン軍団が奮闘する中、デルフィンが一人ダウンしている事も多くなった。マスクも破られたり、剥ぎ取られて素顔を晒して制裁を受ける事も度々だった。見かねたサスケが率いる正規軍とも共闘する(この時点でデルフィン軍団は正規軍に吸収されたといえる)が状況は変わらなかった。 1997年6月22日、頂上決戦となった福島県浪江町での大会におけるデルフィン対ディック東郷戦において、デルフィンが東郷の猛攻で戦意喪失、「俺の股をくぐれば許してやる!」と東郷のマイクアピールを受けて、言われるがまま四つん這いで股をくぐる。 東郷のアピールはかつて覆面剥ぎマッチや髪切りマッチなどで連敗した高く厚い壁であったデルフィンのあまりの不甲斐なさに業を煮やして、そこまで言われれば発奮するだろうと思っての事だったが、本当にくぐった事で海援隊メンバーは激怒、逆にそれまで以上の制裁を受け、マスクを破られコスチュームを切り裂かれ、着色スプレーで背中に「バカ」と書かれるという事件が発生。怒った観客は暴動を起こし、デルフィンはシリーズ途中で失踪してしまう。その後、試合会場に素顔にサングラス姿のデルフィンが現れ、試合後のサスケが檄を飛ばし、デルフィンは復帰を宣言。 デルフィンは新たに「大阪臨海アッパー」なる技を習得して復活。肉体改造にも成功し、復帰戦となった10月10日の両国国技館大会の6人タッグでは上半身裸のコスチュームで以前との筋肉の違いを見せつけ、観客からは感嘆の声も上がった。試合の最後で東郷に「大阪臨海アッパー」を決めてKO、雪辱を果たした。
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