職業人連帯グループ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/26 05:07 UTC 版)
「ジャナ・アンドラン」の記事における「職業人連帯グループ」の解説
こうした行き詰まりの中でも、小さな自主的な抵抗運動が起きていた。2月23日にシュレスタ首相に抗議の面会に訪れた15人の知識人たちは職業人連帯グループを組織した。元財務官僚で人権活動家のディペンドラ・ラジュ・バンデが呼びかけた。グループの中にはネパール会議派を支持するものと、共産党系諸政党を支持するグループがあり、各分野別グループには二人ずつ代表を置くなどの配慮をした。そこで、知識人たちは3月7日、バンデを責任者とし、「医師」「医療助手」「教員」「弁護士」「エンジニア」の5分野からなるグループを結成した。 もはや、デモや集会などの常套的な街頭活動が効力を持たないことは明らかだった。そこで、「国民団結の日」に密かに連帯する意味で、3月20日、著名人による講演会をキルティプルのトリブバン大学の講堂で開催することを企画した。講演者には元検事総長、作家、そして付属病院のシュレスタ教授らが名を連ねた。テーマは「今日の状況とネパールの知識人と職業人が果たす役割」。 しかし、これもホールごと警察に包囲されていた。たまたまシュレスタ教授が講演しているとき、警察が入ってきた。講演を中止するよう求めたが、教授は応じず、国王の責任についての『マハーバーラタ』の一節を英語、ネパール語、サンスクリット語で引用して引き伸ばしを図った。大会は急いで決議文を議決した。会場にいた700人近くの人々は知識人らしく、整然と連行されていった。大部分は釈放されたが、幹部は刑務所に送られた。特にネパール会議派の学生は多く逮捕され、ひどい扱いを受けた。 しかし、この講演会と逮捕は海外に報道され、一定の効果を持った。
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