聖書の中にみる論拠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 14:12 UTC 版)
カトリック神学においては、以下のような聖書の箇所がローマ教皇の首位権と不可謬性の論拠となっているとみなされてきた。 ヨハネによる福音書1:42、マルコによる福音書3:16 イエスがシモンにペトロ(ヘブライ語でケファ、岩)という名前をあたえる。 マタイによる福音書16:18 「この岩の上に私は教会を立てる。」(マタイ7:24-28 岩の上にたてられた家の箇所も参考) ヨハネ16:13 「真理の霊が来ると、真実を示す。」 ヨハネ14:26 「父が私の名によって送る聖霊がすべてを示す。」 ヨハネ21:15-17 「わたしの羊を牧せよ。」 ルカによる福音書10:16 「あなたのことばを聴くものは私のことばを聴く。あなたを拒むものは私を拒んでいる。私を拒むものは、私がおくるものを拒んでいる。」 テモテへの第一の手紙3:15 「神の家でどのようにふるまうか、それは真理の柱、土台である。」 ヨハネの第一の手紙2:27 「御子から油を受けているので、あなたたちは誰にも教えを請う必要はありません。油によってすべてのことが教えられ、それらは偽りのない真実である。教えにあるように彼のうちにとどまりなさい。」 使徒言行録15:28 「聖霊とわたしたちにとってそれはよいことのように思えます。」(ここでは使徒たちが聖霊の力によって語っている) マタイ10:2 「12人の名前は以下のとおりである。第一にペトロと呼ばれるシモン。」(ペトロの首位性を示す箇所) マタイ28:20 「わたしが命じたことをすべて守るように教えなさい。わたしはいつもあなたとともにいる。」 神学者ルドヴィク・オットーは著作『カトリック教義の基礎』 (Ludwig Ott: Grundriss der katholischen Dogmatik, 1952) において、上記の箇所の他にも使徒の間におけるペトロの首位性を示す多くの箇所を指摘している(例:マルコ5:37、マタイ17:1、ルカ5:3など。4巻第2部2章5参照)。
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