聖書の中における毒麦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 23:10 UTC 版)
新約聖書中のマタイ書13章24~30節「畑の毒麦のたとえ」、34~43節「毒麦のたとえの説明」に記述された「ζιζάνια(ギリシャ語)」が「毒麦」と訳される。「畑の毒麦のたとえ」以外では、毒麦という言葉は、聖書では使われていない。 若いうちはコムギと判別しづらい。根もコムギと入り組んでいるため、抜くと麦も一緒に抜いてしまう危険性がある。穂を出せば区別できるので、収穫まで一緒に育つままにしておくように命じたという聖書の言葉の意味が理解できる。 このたとえ話の筋は、次のようなものである。ある人の畑に、敵が毒麦をこっそりと蒔く。しもべ達が気づき、すぐに刈り取ろうとするが、主人は収穫の時期を待つよう指示する。すぐに抜けば良いものも抜いてしまうが、生長しきったときなら完全に選り分けることが可能だからである。
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