聖ソフィア大聖堂とは? わかりやすく解説

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聖ソフィア大聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 20:03 UTC 版)

キエフの聖ソフィア大聖堂と関連する修道院群及びキエフ・ペチェールシク大修道院」の記事における「聖ソフィア大聖堂」の解説

詳細は「聖ソフィア大聖堂 (キエフ)」を参照 聖ソフィア大聖堂 (Saint-Sophia Cathedral, ID527bis-001) はキエフ中心部にある市内では現存最古聖堂であり、世界遺産登録面積は5.02ha、緩衝地域は111.81haである。 9世紀末ごろに成立したキエフ・ルーシ最盛期は、キリスト教国教としたウラジーミル聖公から、その息子ヤロスラフ賢公時代とされている。ウラジーミル大聖堂建立したが、のちのモンゴルのルーシ侵攻によって破壊されてしまった。ヤロスラフペチェネグ勝利した記念として建立した聖ソフィア大聖堂は、コンスタンティノープルにあったハギア・ソフィア大聖堂あやかってその名を頂いたもので、1037年建立である。ギリシャ十字式のプラン採用した創建当時様式は、五廊式と13ドーム特徴付けられていたが、現在は1685年から1707年大改築経てウクライナ・バロック様式見られる鐘楼の高さは78メートルで、これはキエフ市内では最高地点である。大聖堂の壁には、モンゴル軍の侵攻の際にも破壊されずに残った不滅の壁のマリア」の異名を持つ生神女モザイク画はじめとする美し絵画群が残されている。 聖ソフィア大聖堂は、周囲神学校信者の家 (Bretheren's House)、府主教邸宅 (Metropolitan's House)、教会会議室 (Consistory)、僧院食堂 (Refectory Church) などに囲まれている。 聖ソフィア大聖堂と周辺建造物は、高位聖職者たちが教会会議を開く宗教的な場所として、歴代大公戴冠外国使節接受を行う政治的な場として、そして『ランス福音書』をはじめとする稀覯書擁していた中世ロシア初の図書館設立され文化的な場所として、いずれも重要な位置占めていた。

※この「聖ソフィア大聖堂」の解説は、「キエフの聖ソフィア大聖堂と関連する修道院群及びキエフ・ペチェールシク大修道院」の解説の一部です。
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