群雄一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 00:48 UTC 版)
この争乱時に、中央権力が届かぬため地方で兵力を持つ者、太守や豪族等がその力を以て独自の勢力圏を持った。通常、軍閥と言われる。彼らが群れて統一政権不在の状況を春秋戦国時代から群雄割拠と呼ぶ。群雄はその元の意味から複数形であるが、「群雄割拠時の群雄の一人」の意味で単数形で扱われることもある。主だった群雄を挙げる。光武帝に降った竇融と、匈奴の中に逃げた盧芳を除いて、光武帝に滅ぼされ、後漢は統一政権時代に入った。 新末後漢初の諸勢力国号(備考)存在年拠点君主滅亡原因漢(緑林軍、玄漢)23〜25 洛陽→長安 劉玄 赤眉軍に敗退 漢(趙漢)23〜24 邯鄲 王郎 劉秀軍に敗退 漢(赤眉軍)25〜27 長安 劉盆子 劉秀軍に降伏、解散 漢(梁)25〜29 睢陽 劉永→劉紆 劉秀軍による郯城陥落 成家(中国語版)25〜36 成都 公孫述 劉秀軍の成都包囲、開城 琅邪の張歩 東海の董憲 黎丘の秦豊 漢中の延岑 夷陵の田戎 漁陽の彭寵 涿郡の張豊 郾の尹尊 楽浪の王調 舒の李憲 真定の劉楊 育陽の鄧奉 堵郷の董訢 安定の盧芳 陳倉の呂鮪 隴西の隗囂 河西の竇融
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