緊急銀行法の制定
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ハーバート・フーヴァー政権下で財務省のスタッフがまとめていた草案は、1933年3月9日に可決された。この新法は、12の連邦準備銀行に、担保の裏付けの上で追加的に紙幣を発行することを認め、銀行が再開しても適正な預金引き出しに対応できるようにした。 緊急銀行法案は、1917年対敵通商法 (Trading with the Enemy Act of 1917) を修正する形で、1933年3月9日に議会上下院合同会議に提出され、新たに選出された100名以上の与党・民主党議員たちが金融破綻をはじめとする経済の行き詰まりに根本的な対処を求め、同日夕方には混乱した雰囲気の中で法案が可決された。 緊急銀行法は、いわゆる第一次ニューディール政策とされる、ルーズベルト大統領の最初の100日 (First 100 days of Franklin D. Roosevelt's presidency) における政策のひとつであった。緊急性があったため、下院の審議では1部しか法案書がない状態で、下院金融委員会の委員長ヘンリー・スティーガルが法案を大声で読み上げ、投票がおこなわれた。上院議員たちも、いち早く法案が提案はされていたものの、法案を印刷したものが入手できるようになったのは、下院が可決した後のことであった。 ウィリアム・L・シルバー(英語版)によれば、「1933年の緊急銀行法が議会を通過した1933年3月9日は、FDR(ルーズベルト大統領)が全国的な銀行休業日を宣言した3日後であり、連邦準備銀行が銀行の再開に向けて制限なく通貨を供給したことも相まって、100パーセントの資金準備を保証した」という。
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