絶対音楽 vs 標題音楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/29 04:11 UTC 版)
「音楽の哲学」の記事における「絶対音楽 vs 標題音楽」の解説
詳細は「絶対音楽」および「標題音楽」を参照 「絶対音楽」とは、他の何かを表現するような音楽でなく、叙述的でない(音楽それ自身以外を表現するためではない)音楽を指していう。対して「標題音楽」とは雰囲気やイメージをリスナーのこころに喚起させるような音楽のことである。上の定義に従えば、絶対音楽が音楽以外の意義を持つことはできないために、絶対音楽の本質・意義は音楽それ自身にある、ということになる。この分別には議論があり、一体全体まったく純粋な絶対音楽というものが果たしてあるのか、はたまたすべての音楽は多かれ少なかれ標題的ではないのかという疑問がある。後期のロマン主義時代には楽器による絶対音楽に対してワーグナー、ニーチェ、ヘーゲルが苛烈な批判を行った。ワーグナーの音楽は主に標題的であり、しばしば声楽を伴った。またワーグナーは「音楽が行き詰るところ言葉がある。言葉は音色より高貴である」と言った。哲学者ニーチェはワーグナーの音楽を賛美する文章を多く書いており、またニーチェ自身がアマチュアの作曲家でもあった。 ヘーゲルは「器楽曲は厳密には芸術ではない」とまで言った。一方、ロマン主義時代に絶対音楽を擁護した哲学者であるゲーテは、音楽は人間同士の主観的な「言語」というもの以上に、絶対的で超越的な世界の様相を映し出すものだと考えた。また音楽に超自然的な世界との関連を見出す者もいる。ショーペンハウアーの主著「意志と表象としての世界」の第4章で彼はこう書いている。「音楽は人生の神秘への答えである。音楽は芸術の中でもっとも深遠なものであり、人生へのもっとも奥深い洞察である」。
※この「絶対音楽 vs 標題音楽」の解説は、「音楽の哲学」の解説の一部です。
「絶対音楽 vs 標題音楽」を含む「音楽の哲学」の記事については、「音楽の哲学」の概要を参照ください。
- 絶対音楽 vs 標題音楽のページへのリンク