統合組織設立までの経緯とは? わかりやすく解説

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統合組織設立までの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 02:37 UTC 版)

世界野球ソフトボール連盟」の記事における「統合組織設立までの経緯」の解説

2016年リオデジャネイロオリンピックでの実施競技復帰失敗した野球国際野球連盟IBAF)は「スポーツにおける女性の地位向上」の観点から、ソフトボール国際ソフトボール連盟ISF)は普及度観点から、今後単独での復帰は困難であり、これからお互い歩み寄り協力して復帰活動をしたほうが賢明であると判断2011年10月23日、アメリカ・ヒューストンで開催され両者合同会議において、「男子野球」と「女子ソフトボール」が一つ競技としてオリンピック競技復帰を図る構想確認する至ったその後IBAF会長のリカルド・フラッカリとISF会長のドン・ポーターは、復帰条件確認するため国際オリンピック委員会IOC)と協議行い、また組織統合へ向けて両会長も断続的に会談重ねた2012年5月22日IBAFISFは、「野球・ソフトボール」の男子野球女子ソフトボールの、1競技として実施することをIOCに対して共同提案、また同年10月15日には、両競技統括する新たな国際連盟創設する覚書交わし、両連盟メンバー構成される合同委員会設置した10月30日ISFがアメリカ・ヒューストンにおいて臨時総会開き投票により賛成多数で、IBAF合併して新たな国際連盟創設することが承認された。12月12日にはIBAF側でも承認され、ついに統合組織設立決定したとともに、この新組織の名称が「世界野球ソフトボール連盟WBSC )」となることが発表された。 2013年4月14日東京開催され第27回IBAF総会会場グランドプリンスホテル新高輪ホストNPB)において、両競技団体統合組織WBSC 」が、共同会長務めIBAFのフラッカリ会長と、ISFポーター会長の、統合規約調印をもって発足した記者会見では、新連盟ロゴや、2020年夏季オリンピックでの実施競技復帰目指しキャンペーン特設サイト開設スローガンに「SWING FOR THE FENCES (一発狙え)」を掲げることが発表された。 今回統合組織設立対し、フラッカリ共同会長は「歴史的な日だ。重要な地点にたどり着いた」、ポーター共同会長は「もう一度オリンピック復帰するため、われわれは一つになった」と述べた

※この「統合組織設立までの経緯」の解説は、「世界野球ソフトボール連盟」の解説の一部です。
「統合組織設立までの経緯」を含む「世界野球ソフトボール連盟」の記事については、「世界野球ソフトボール連盟」の概要を参照ください。

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