結束主義(ファシズム)・ロマン主義・英雄的犠牲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:25 UTC 版)
「自殺攻撃」の記事における「結束主義(ファシズム)・ロマン主義・英雄的犠牲」の解説
1930年代~1940年代には、結束主義(ファシズム)と「有機的なアラブコミュニティー」へのロマン主義的ノスタルジア(郷愁・懐古)が合成された。これはアラブ社会主義復興運動(バース主義)と呼ばれ、シリアやイラクの政権が掲げるに至った。アラブ社会主義復興運動の発展は、第一次世界大戦後の1923年にイスラム帝国(オスマン帝国)が崩壊した後に起こったもので、推進者はザティ・ヒュスリや、シリアバース党結成者のミシェル・アフラクのような思想家たちだった。 彼ら汎アラブ主義者たちにとって、最大の敵はヨーロッパの植民地主義だった。しかし例に漏れず、ここでも西洋はヨーロッパ原産の思想に挑戦されていた(その思想は、日本の超国家主義者たちを鼓舞したものと同種だった)。ザティ・ヒュスリも、ドイツロマン主義の思想家(フィヒテやヘルダー等)から多大に影響されていた。ドイツロマン主義は、フランス啓蒙主義に対抗して「血と地」(血と土)に根付く有機的・民族的国家という概念を提唱していた。ヒュスリの理想も、アラブ世界を巨大な有機的コミュニティーとして統一することだった。この考え方は、1920年代にウィーンやベルリンの結束主義者(ファシスト)の間で盛んだった「汎ゲルマン主義」から直接的に影響されている。ヒュスリの理想は、軍事鍛錬や「英雄的な個々人の犠牲」によって結びついた、アラブ人の「フォルクスゲマインシャフト」(自然発生的民族共同体)だった。 アラブ社会主義復興党(バース党)は、宗教的反乱を弾圧するため、何十万人ものムスリム(ほとんどはシーア派)を虐殺した。しかしアラブ社会主義復興党は、己に有益と見た場合、西洋の「十字軍」や「シオニスト」に対する宗教テロも助長した。例えば党員のサッダーム・フセインは、異教徒退治のため白馬に乗って現れたアラブの「救済者」サラディンに、好んで自らを模していた。
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