結果および投票に関する論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 13:35 UTC 版)
「1872年アメリカ合衆国大統領選挙」の記事における「結果および投票に関する論争」の解説
一般投票の結果、グラントは56%対44%という差で容易にグリーリーに対し勝利した。選挙人投票ではグラントが286票を獲得し、グリーリーには66票が行くはずだったが、一般選挙から24日後、選挙人投票の前にあたる1872年11月29日にグリーリーが死に、グリーリーが獲得した6州(テキサス州、ミズーリ州、ケンタッキー州、テネシー州、ジョージア州およびメリーランド州)の選挙人の大半は他の民主党員に投票した。 1873年2月12日、選挙人投票の集計を行う上下院合同会議の席で、選挙の結果について下記のような多くの異議が提起された。しかし1876年アメリカ合衆国大統領選挙でなされた異議とは異なり、これらの異議は選挙結果に何の影響も与えなかった。 アーカンソー州とルイジアナ州の選挙人投票は不正があったとして排除された。両州はグラントに投票していた。 ジョージア州の選挙人のうち3人は大統領にグリーリーに投票した。グリーリーは選挙人達が投票を行った時には死んでおり、これらの票は排除された。この3人が副大統領候補としてブラウンに投じた票は採用された。 テキサス州、ミシシッピ州、およびミシシッピ州の選挙人J・J・スペルマンの投票に対して異議が挙がった。最終的にこれらの選挙人票は認められた。
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