経過・顛末
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/03 23:57 UTC 版)
2月25日から26日にかけて、第三猟兵大隊はホンニカエミの貯蔵庫から3kmの位置である、ヘポノトコ周辺にトラックで輸送された。4時になると大隊はそこから反撃開始地点までスキーで向かった。戦車中隊は50km遠方から行軍を始め、30分遅れて到着した。しかし、行軍の途中で思った以上の損害を出した。深夜の極寒の天候とそれによる路面の凍結などの影響を受け、当時フィンランド軍が保持していた13両のヴィッカース 6トン戦車のうち5両は途中でエンジントラブルなどの故障をきたし、行軍不可能になり放棄せざるを得なくなった。 戦車隊を攻撃的戦闘能力の主力とみなしたクンナ中佐は、残った戦車を第一、第二、第三の猟兵中隊に分けた。6両の戦車は猟兵を援護し二両は最初の陣地の左翼を支援した。攻撃開始は午前5時が選ばれていたが、砲兵大隊との協力に失敗し、攻撃は午前6時15分にずらされた。 6時15分、今度は砲兵大隊との連携協力は成功した。しかし今度は別の問題が起こった。予備砲撃の弾幕をはる際に、幾つかの砲弾が攻勢開始地点におち、この結果、30人のフィンランド兵士が死傷した。 二個砲兵大隊(第1大隊の第21砲兵連隊、第5砲兵連隊)による予備砲撃の後、攻撃が開始された。しかし、フィンランドは更に攻撃の出鼻をくじかれた。2両の戦車が行動不能に陥り、行動可能なフィンランド戦車は6両になった。これらの問題に次いで、更に、猟兵大隊は200mを進んだが、赤軍の凄まじい火力の前に進軍を止めざるを得なかった。左翼を保持していた第一猟兵中隊は、鉄道線を前進し超えるはずだったが超えることが出来なかった。主力であった第二、第三猟兵中隊は鉄道線から200m付近まで進んだがそこで進軍を止めた。 その後の戦闘は第四戦車中隊にとって最悪であった。戦車の一両は溝に突き刺さり、砲等がダメージを受け、初期位置に撤退した。残る五両の戦車はT-26、T-28に攻撃され、破壊された。ミッコラ小隊長の戦車は最も遠く500mほど進出し、ソ連の陣営内に突入した。フィンランド戦車のうちソヴィエト戦車を撃破した車両は二両のみであった。E・セッパラ軍曹の戦車はクルーが戦車を放棄するまでに二両のソ連戦車を撃破し、J・ヴィルニオ少尉の戦車は破壊されるまでに一両の戦車を撃破した。ソ連軍に与えた損害は戦車三両のみだった。
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