経済学における古典派の位置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 15:12 UTC 版)
「古典派経済学」の記事における「経済学における古典派の位置」の解説
古典派経済学以前には(金銀の)国際収支論を展開したジェラルド・ド・マリネス、エドワード・ミッセルデン、トーマス・マンなどに代表される重商主義の経済学が存在した。 古典派経済学の中心的経済学者は、アダム・スミス(1723-1790)とデヴィッド・リカード(1772-1823)であるが、トマス・ロバート・マルサスやジョン・スチュアート・ミルをも考慮すべきである。 古典派経済学は、一般にリカードにおいて頂点に立ったと考えられている。シュンペーターは、リカードに比較的低い評価を与えているが、「明確な結果を出す方法」という点において、リカードとケインズは「その精神において兄弟である」というほめ方をしている。 リカードの経済学は、リカードの死後、さまざまな批判にさらされた。1830年代には、リカードの厳格な支持者はいなくなったとまで言われている。ジョン・スチュアート・ミルは、リカードの忠実な継承者を自認したが、シュンペーターは、実質的にはミルはリカードからかなり遠ざかっていると評価している。マルクスも同様の評価を下している。塩沢由典は、ミルがリカードの生産費価値説からより旧い需要供給の法則に回帰した契機が国際価値論構築の困難にあったと指摘している。 古典派経済学は、イギリス古典学派と呼ばれることもある。主としてイギリスにおいて展開された経済学であるからである。しかし、リカードとほぼ同時代にのフランスにはジャン=バティスト・セイやジャン=シャルル=レオナール・シモンド・ド・シスモンディがいて、イギリス古典派とはやや系統のことなる経済学を展開していたことを忘れてはならない。また、重商主義の経済学者と古典派経済学者の間に、フランソワ・ケネーやジェームズ・ステュアートなどもいる。 1870年代前半に、従来の経済学の伝統を一新する動きが英仏独の3つの言語圏でほぼ同時的に発生した。イギリスのウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズ、フランスからスイスに移ったレオン・ワルラス、オーストリアのカール・メンガーらが数学的手法を駆使して分析を行なう経済学を創始したからである。それぞれが限界概念を用いたことから、この動きを限界革命と呼ばれる。ワルラスの経済学はローザンヌ学派に、メンガーの経済学はオーストリア学派に引き継がれ発展したが、ジェヴォンズは、比較的若くして事故死したこともあり、ジェヴォンズとはやや考え方の異なるアルフレツド・マーシャルがイギリス新古典派の集大成者となり、ケンブリッジ学派が成立した。アメリカで発展したジェヴォンスやエッジワースなどによるアメリカ経済学やクヌート・ヴィクセルのスウェーデン学派を含める場合も新古典派に含められる。なお、狭義にはケンブリッジ学派のみを新古典派とする場合もある。 古典派批判から新古典派経済学が生まれたと同じように、マルクス経済学も、この時代の古典派経済学への批判から生まれた。ケインズ経済学は古典派・新古典派に共通する考えを刷新するものと考えられている。
※この「経済学における古典派の位置」の解説は、「古典派経済学」の解説の一部です。
「経済学における古典派の位置」を含む「古典派経済学」の記事については、「古典派経済学」の概要を参照ください。
- 経済学における古典派の位置のページへのリンク