紅い芙蓉をひとまはりして来る子です
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北原白秋といえば、数多くの童謡の詩を作った詩人としての顔が代表的だが、同時に歌人でもあり俳人でもあった。 白秋の俳句というのは意外な気がするのだが、大正10年ごろから小田原実業新報などにぼつぼつ発表していたようである。 「ゆふだちや雀それゆく藪の揺」、「母に手を曳かれて遠しせみの声」などの句はその頃の句。きっちりとした俳句で白秋の童謡にも通じる世界である。 「紅い芙蓉」の句は、大正13年の関東大震災の後に作られた句である。「震後」のタイトルの後に、「亞浪氏のすすめによりて初めて句作す。観る人わが此の旧調にして稚拙なる処女句を笑ひたまえ」という前書きがある。亞浪というのは臼田亞浪のことだろう。 小田原に住んでいた白秋の家も全壊し、「紅い芙蓉」の句も「家大破して住む能はず、三句」という前書きのある句である。大破した家に住むわけにもいかず、竹林に蚊帳を吊っての仮住まいだったらしいことが、これら一連の句や前書きで読みとることができる。そんな避難生活の中でも紅い芙蓉は咲き、子どもは無心に遊んでいる。そんな風景が見えるようである。 だが、白秋は本気で俳句をやろうというより、定型詩の一つとしての俳句で遊んでみたという気分の方が勝っていたように思う。句の作り方も、きっちりした有季定型の句から自由律の句まで特に拘泥していない。「この秋はおいらんさうの皆しろし」と季の重なる句もあるし、「食後に白い蝶見てゐる」のように自由律の句もある。推敲を重ねて句を作るというより、その時々の思いを軽く書きつけたような感じである。 白秋の詩や短歌との関連で鑑賞するのも面白いかもしれない。 白秋の命日11月2日には郷里の柳川では白秋祭が盛大に行われる。 山吹が咲いたよ棕梠の毛が乾いた 白秋 撮影:青木繁伸(群馬県前橋市) |
評 者 |
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備 考 |
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