紀元前406年の再遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 10:02 UTC 版)
「ゲラの戦い」の記事における「紀元前406年の再遠征」の解説
シュラクサイから追放されていた将軍ヘルモクラテスは、カルタゴ領であるモティア(現在のマルサーラのサン・パンタレオ島)やパノルムス(現在のパレルモ)近郊で襲撃を行ったが、これに対する報復としてカルタゴはハンニバル・マゴが率いる軍を再びシケリアに派遣した。シケリアの主力ギリシア殖民都市であるシュラクサイおよびアクラガスは、傭兵を雇用しまた艦隊を増強して予想される戦争に備えた。シュラクサイはギリシア本土のペロポネソス戦争に参加しており、近隣都市との紛争も抱えていたが、カルタゴ軍がシケリアに上陸すると、シュラクサイ政府はギリシア本土とマグナ・グラエキアのギリシア殖民都市に援助を求めた。 ハンニバル・マゴは紀元前406年の夏にアクラガスを包囲したが、アクラガスは最初の攻撃を撃退することに成功した。その後攻城用の傾斜路を建設中に、カルタゴ軍にペストが蔓延し、ハンニバル・マゴを含め数千人の兵士が死亡した。さらに、副官でありハンニバル・マゴの親族であるヒミルコが率いたカルタゴ軍の一部は、ダフナエウスが率いるギリシア救援軍に敗北した。敗走するカルタゴ軍に対する追撃は行われず、カルタゴ軍はアクラガス西部の野営地に留まった。これを不満としたアクラガス市民は、将軍4人を石打刑で処刑した。その後、ギリシア軍はカルタゴ軍の補給を断ち、カルタゴ軍内部では反乱発生寸前となった。しかし、シュラクサイからの補給船団をカルタゴ艦隊が攻撃・鹵獲し、ヒミルコは窮地を脱した。逆にアクラガスは補給不足で飢えに苦しみ、結局アクラガスは放棄された。ヒミルコはこれを略奪した。包囲戦の期間は8か月にも及んだ。
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