紀元前406年カルタゴ軍のシケリア再遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:15 UTC 版)
「カマリナ略奪」の記事における「紀元前406年カルタゴ軍のシケリア再遠征」の解説
シュラクサイから追放されていた将軍ヘルモクラテスは、カルタゴ領であるモティア(現在のマルサーラのサン・パンタレオ島)やパノルムス(現在のパレルモ)近郊で襲撃を行ったが、これに対する報復としてカルタゴはハンニバル・マゴが率いる軍を再びシケリアに派遣した。シケリアの主力ギリシア殖民都市であるシュラクサイおよびアクラガスは、傭兵を雇用しまた艦隊を増強して予想される戦争に備えた。シュラクサイはギリシア本土のペロポネソス戦争に参加しており、近隣都市との紛争も抱えていたが、カルタゴ軍がシケリアに上陸すると、シュラクセイ政府はギリシア本土とマグナ・グラエキアのギリシア殖民都市に援助を求めた。
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